2015/03/21

Daily Steps

この旅行期間中の歩数と距離をiPhoneから拾い出してみると
13日はフィレンツェのハイライトを歩き回った日。18日はフォロ・ロマーノからコロッセオを回った日。合計で約170kmとは、よく歩いた!



2015/03/20

Rome Fiumicino(FCO) to Tokyo Narita(NRT), AZ784

搭乗前、言われた通り、アリタリアのカウンターに地上係の人が来たところで、座席変更のお願いに行く。すると「わかりました、調整できたらご連絡します」と。
その後、搭乗が始まる少し前に放送で呼び出しがあって、座席を並びの席に変えた新しいボーディング・パスを渡してくれた。チェックインのおばちゃんありがとう!


往路のANAと比べると、アリタリアの777はちょっと古くて、座席の間隔が狭くて、テーブルがガタついて、液晶TVが小さくて、CAのおばさん達がちょっと怖かった(笑)
飛行機の中は、映画を見ながら寝たり起きたりして過ごした。
食事はイタリアンを頼んだけど、当然ながら今回の旅行中で一番おいしくないイタリア料理。

朝食のチーズは美味しかった。この後、予定通り成田空港に到着し、羽田空港にリムジンバスで移動した。

羽田に移動してから、この旅行最後の食事はうどんと親子丼。娘は山菜うどん。2週間ぶりに味わう出汁の味にほっとした。


この後、広島に帰る娘を羽田で送って、2週間という長い旅が終了。最後は、寂しさを感じる暇のないドタバタ劇、一生忘れることのできない旅になった。

Check in AZ784

11:30の少し前、アリタリアのチェックイン・カウンターに行くと、すでに50名程の行列ができていた。ローマ〜成田便とローマ〜関空便が同じ列に並んで、それぞれのカウンターに進むようになっていた。

2〜30分程待って順番が回ってきた。
アリタリアの便名AZ784を書いたメモを見せて「ルフトハンザから便変更している。座席は隣り合わせで取って欲しい。」と伝えると、地上スタッフのおばさんがカチャカチャキーボードを叩いて調べてくれた。
「残念だけど、隣り合わせの席はないです。」と言った後で、キーボードをカチャカチャ。なんかまずそうな雰囲気だなぁと思っていると「あなたの荷物は2個ですか?」と質問が。
娘のスーツケースが1個、自分のが2個で合計3個あることが問題になった。
ああ、やっぱり引っかかったか。スターアライアンス・ゴールドで荷物は2個までOKだけど、チケット上は荷物は1個だからなぁ。

「ルフトハンザならスターアライアンス・ゴールドで2個まで大丈夫なのだから、ルフトハンザの都合で変更した便でも2個まで大丈夫のはずだ。」と言ったが「うちはアリタリア、スカイチームじゃないとダメです。」と予想通りの答えが返ってきた。
「いくらするの?」と聞いたら200ユーロと。「それは高すぎる!」と言うとおばさんも「確かに高すぎる。」と同意してくれる。そして、あちこちに電話したり、隣のカウンターの主任っぽい人に相談したり、キーボードをカチャカチャやって調べてくれた。この間、やりとりを含めて20分ぐらい。結局ダメだと言われたけど、ずらっと人が並んだところで長時間粘るのも限界、「ありがとう、200ユーロ払う。」と言うしかない状況。

このカウンターのおばさん、ボーディング・パスを渡すときに「搭乗が始まる少し前、カウンターにこの服、このスカーフをした人が来たら、座席を隣り合わせに変更して欲しいと言えば席を融通してくれるはず。」と教えてくれた。とってもいい人だった!

Per l'aeroporto di Fiumicino / フィウミチーノ空港へ

ホテルからフィウミチーノ空港までの移動はホテルで頼んだ旅行客専門の業者さん。10人乗りぐらいのバンで迎えに来てくれた。
空港に向かう途中、カラカラ帝の大浴場跡が見えたときと旧市街の城壁を抜けるときに、「あぁ、ローマからサヨナラするんだなぁ」と少しセンチになった。
車は渋滞に巻き込まれることもなく、高速を通って40分程でフィウミチーノ空港Terminal 3に到着した。

空港ロビーにあるアリタリア航空の案内所で便名を伝えると、11:30からチェックインを始めると教えてくれた。
予約変更のメールは届いたが、チェックインするまでは安心できない。待合室で2時間弱の落ち着かない時間を過ごした。


Call Center / コールセンター

最後のディナーから帰った後、帰国の荷造りをして早めに寝たら、午前1時過ぎに目が覚めてしまった。午前1時といえば日本時間の朝9時、丁度コールセンターが受付を開始する時間ということに気づいて、日本に電話することにした。

まず、ルフトハンザのコールセンターに国際電話をかけたが、「ただ今混み合っております」というテープの応答が繰り返されるだけで、オペレータにつながる気配なし。20分以上待ったとことで諦めて電話を切った。
続いてANAのコールセンターに電話をすると、こちらはすんなりつながった。ANAのサイトで予約したチケットなので、ルフトハンザ便でも予約変更をやってくれるとのこと。ただ、同日での予約変更は難しいので1日延びてもよいか?と聞かれる。日本に帰れれさえすれば1日位どうでもいいやと、「1日延びてもいいです」と答えると、「チケット手配しますのでしばらくお待ちください」と言って電話の向こうでキーボードをカタカタする音が。しばらく待った後、電話から「申し訳ございません、明日の便も空きがありません。一旦お預かりさせていただいてよろしいですか?」と。
「あー、明日も無理なの?!」と思いつつ、便の変更をお願いし、携帯の電話番号を伝えて電話を切る。

やっぱり無理かなぁと思い始めたところで、日本からの電話ならルフトハンザにもつながるのではないかと思いつく。ヨーロッパでスト真っ最中の時期に、国際電話でかけて来るのは面倒なことを言う客ばかりということで後ろに回されているのではないか?というゲスな勘ぐり。
さっそく自宅にいる下の娘に電話して、状況を説明してルフトハンザに予約便変更の電話をするよう依頼した。
すると1時間後に連絡があって、何とローマ〜成田の直行便に変更できたとのこと。直行便なので、ローマを少し遅く出ても成田には2時間ほど早く着く。結果、予定通りの時間には羽田に到着できて、娘の予約している羽田〜広島便にも遅れない。
おー、奇跡的な大逆転劇!これで予定通りに帰ることができる!

ここまで頑張って、時間は夜明け前の4時頃。寝てる暇もないのでそのまま服を着替えてしまうことに。この最後の日を半徹にしたおかげで、日本に帰ったときの時差ぼけはほとんどなかった(笑)

2015/03/19

La cena l'ultimo giorno / 最終日のディナー

飛行機がキャンセルされたことは忘れて、ローマで最後のディナーを楽しむことに決定!予約したのは、4日前にも行ったRistorante La Tavernetta 48。19時ジャストにお店に着くと、最初の客だった。

まずは食前酒のスパークリング・ワインが出される。メニューは安心のJAPANESE(笑)

水とビールを頼むとワイングラスは片付けられてしまう。


まずは野菜のフリット。サクッと揚がった衣の塩気と野菜の甘みが最高だった。

モッツァレラチーズとトマトのカプレーゼ。

メインは魚介のグリル。魚介のグリルは今回の旅行で食べた食事の中一番美味しかった。イタリアに来ても魚介が最強だな。

娘が食べたのはアサリのパスタ。

最後はカフェ・アメリカーノで締めくくり。日本の2倍位の濃さでアメリカーノとは程遠い感じはするけど、エスプレッソ独自の味があるのでカフェ・アメリカーノに間違いはないと娘の弁。

食事の帰りにジョリッティで、これまた最後のジェラート。左はオリジナルのイタリアン・オペラとレモン的な何か(忘れた)、右はピスタチオとチョコ系の何かだったと思う。

イタリア最後のディナーは大満足!
そう言えば、隣の席に座ったドイツの老夫婦2組に、大学で学んだドイツ語の知識を総動員して、"Ich komme aus Japan"と話しかけたら、"My daughter and grand child live in Tokyo Japan..."と英語で話してくれた。まあ、ドイツ語で言われても分からないけど。

One of your flights has been canceled / ご搭乗便は欠航となりました

楽しかった旅行を振り返りながらホテルまで帰ってきたとき、娘がひとこと「明日の飛行機のチェックインした?」
おお、23時間前のチェックインをすっかり忘れていた。さっそく、オンライン・チェックインをしようと、ルフトハンザのアプリを立ち上げると、目を疑う画面が。えっ、欠航?!

娘がネットで調べて「ルフトハンザ、ストしとるらしいよ」と。ルフトハンザのヨーロッパ路線がスト突入で大量に欠航になるらしい。
どうすりゃあええんじゃろう?!あーあ、順風満帆な旅行の最後にこれかよ!・・・

このままでは予定の日程で日本に帰られないことは間違いなさそうなので、なんとか便を変更するしかない。でも、日本のコールセンターは終わっているし、ローマのルフトハンザの電話番号も分からない。これはホテルに頼むしかないなあ、ということでフロントに話をしに行った。
フロントで「明日の帰りの飛行機がストでキャンセルになった。」と言うと「延泊するのか?」と、呑気というか自己中な返事に苦笑。
「いや、日本に帰るために便を変えたい。ルフトハンザの電話番号が分からないので、電話して欲しい」と伝えると、電話番号を調べて電話してくれた。でも、ルフトハンザのコールセンターは混んでいてオペレータには繋がらない。
しばらく頑張ってくれたが、「もうこれ以上は無理なので自分で対応して欲しい」と。「でも、困ったことがあったら必ず力になるから」と言ってくれた。

教えてもらった電話番号を控えて部屋に帰って、娘に状況を話す。
「ローマ〜フランクフルト便を違う航空会社に変えることができれば、予定通り帰られる。でも、変えた便の時間が遅かったら、フランクフルト〜羽田が翌日の便になるかもしれん。そのときは、フランクフルトで1泊になるかも。」
すると娘は「じゃあ、フランクフルトに1泊して、フラクフルトも観光しよう!」と前向きというか、呑気なことを言い出す。
何かやらないと始まらないから、ルフトハンザに電話をかけてみる。予想通りイタリア語のテープが流れるが、インターナショナルは何番というのはなんとなく分かるので、番号を押して待つ。でも、テープが流れるだけでオペレータには繋がらなかった。
もうこれ以上は無理と諦め、ホテルのフロントにもう一度お願いに行って電話を依頼する。今回は10分以上頑張ってくれたが結果は同じだった。もうこれは明日の朝早く空港に行って手続きするしかないと諦めて、翌朝のタクシーの手配を1時間前倒しして部屋に戻った。

もう一度ウェブで確認すると、Unfortunately one of your flights has been canceled. This results in a change to your itinerary.  しかもドイツのコールセンターに連絡しろかよ!


Ultima Passeggiata / 最後の散策

ホテルに戻って一休みしてからローマの街をもう一回り。石畳の道を歩いて、ナヴォーナ広場に向かった。

ナヴォーナ広場の南端、ムーア人の噴水側のベンチに腰掛けて、ローマ旅行を振り返りながらボーッと過ごす。自撮り棒を売るバングラディシュ人、叩きつけると「ビャ〜ッ!」と鳴るスライムのような気色悪いオモチャ。観光客に混じって地元の子ども連れもいた。

パンテオンは相変わらず絵になる。

ヴェネツィア広場まで歩いてから、初めての通りを回って帰った。

トレビの泉まで来ると、まあ沢山の観光客。これだけ混めばスリがいるかも、ということで早々に退散した。

歩き疲れたので、ホテル近くのBARで一服。カフェ・アメリカーノを飲みながら「はあ、長かった旅行もあとわずかだなぁ。」いつもの旅行なら、ちょっとセンチになるところだけど、今回は過去最長の2週間。ここまで期間が長いと、少しほっとしたような気持ちもあって、いつもとは違う不思議な感じ。

Pepy's Bar

ジェズ教会の後は、バスでSma superstoreまで行ってお土産を買った。買い物の後は、デプレティス通りをスペイン広場を目指して歩いた。途中、気になっていた通り沿いのBARでお昼ご飯にした。
テイクアウトもできる店の中は半分以上が外国人観光客で、陽気なおっちゃんがイタリア語訛りの英語で接客してた。ローマのおっちゃんはみんな陽気だったなぁ。

注文したのは、ピツッア・スライスとクラブ・サンド。


飲み物は、ノン・ガスとコカコーラ・ライト。コーラが4.5ユーロという以外は納得のの合計16ユーロ。

Chiesa del Gesù / ジェズ教会

ジェズ教会はミネルヴァ教会からは歩いて2〜3分で到着。この教会はイエズス修道会の母教会として建設された。

教会に入ると、黄金に輝く柱、アーチ、天井を飾る美しいフレスコ画が作り出す荘厳な雰囲気に圧倒された。さすが、イエズス会の総本山。



身廊の天井にはバチッチャのフレスコ画「キリストの御名の勝利」。立体感でいっぱいの細部は、いくら眺めてもこれが絵なのか造形なのか分からない。ラファエッロやミケランジェロにも負けない迫力。




教会右手には、16世紀に来日し中国で死去したフィランチェスコ・サヴェリオ(フランシスコ・ザビエル)の礼拝堂がある。

祭壇には、異国の地で多くの人に洗礼を与えたザビエルの右手が飾られていた。日本人には、体の一部をミイラ化させて飾るという感覚はちょっと理解できない。




Basilica di Santa Maria sopra Minerva / サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会

ローマ初日に入れなかったサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会。正面のファサードは極めてシンプル。ここの教会も入場料は無料。ローマの教会はほとんどが無料だった。

教会に入ると、青い天井が美しい。

清楚な雰囲気が漂う教会の中。


ベノッツォ・ゴッツォリ作の「聖母子」。

フィリッピーノ・リッピ作のフレスコ画。中央は「あがないの主イエス・キリスト」

教会を出ると、フィレンツェのGRAND HOTEL MINERVAと似た外見のMINERVAホテルがあった。姉妹ホテルだろうか?
近くには法衣やキリスト教関係の道具を売る店がたくさんあった。






Piazza Navona / ナヴォーナ広場

続いては、初日雨の中来たナヴォーナ広場。この公園は、紀元1世紀の後半に作られた競技場が始まりらしい。
一番南側にあるのはムーア人の噴水。中央にいるのがイルカと戦うムーア人だとか。



広場中央にあるのは、ベルニーニ作の四大河の噴水。中心のオベリスクはマクセンティウス帝の競技場から運んだもの。



一番北側は、ネプチューンの噴水。