2012/09/16

スーパーおおぞら10号

釧路に着いたら、お弁当を買って、13:25分発のスーパーおおぞら10号に乗り換え千歳へ。

隣が女の子でラッキー。
弁当食べたらすることないので、ほとんど寝てたけど。



線路が悪いせいか、列車がめちゃくちゃ揺れるので、座席指定は必須。
立ってられない。

帯広を出た後、「ここから先、エゾシカ等の野生動物が飛び出てくる可能性が非常に高い区間に差し掛かるので、注意してください。」ってアナウンスが。

この後、17時過ぎに千歳に到着し、乗り物に乗ってばかりの弾丸旅行終了。

根室から釧路へ

根室半島周遊バスは定刻の10:40に根室駅前に到着。
ここから、丸一日かけて千歳まで列車の旅。

まずは、11:04根室発〜13:05釧路着の快速に乗り込む。
快速と言っても、1両編成、運転手さん一人のワンマン・ディーゼル列車。

車両は座席が車両の中心を向くシンメトリーな作りで、座席の向きを変えようとする人に向かって、運転手の「この列車の座席は向きを変えられません。」との悲しいアナウンス。
残念ながら、私は、後ろ向きに進む人の中に。


列車は、日本最東端の駅である東根室をすっ飛ばし、こんな所、あんな所を通って、ただひたすら東に向かう。




釧路までの2時間の旅は、車窓をぼーっと眺めて過ごした。

念願の最東端に到達して

念願の最東端に到達。
これで残すは、最北端のみ。

3年前、波照間で最南端に立った後、最西端で泊まったのは、与那国の民宿おもろ。
夜、ゆんたくで盛り上がる中、旅行後やることになっていた浜松のプロジェクトについて不安な気持ちを漏らす。
おもろの女将さんが、「それは○○さんだから、○○さんが信頼される人だからこそ。だから頑張っておやりなさいよ。」と励まされた。

その後の1年弱、知っている人じゃないと分からないけど、まあ人並み以上に辛い日々を送ることに。
辛い日々の中で、希望のひとつは、プロジェクト終了後に与那国に行くこと。
プロジェクトを完了させた後に訪れた与那国は、前年にも増して楽しく、すてきな出会いも沢山。一生の思い出になった。

さて今年、浜松のプロジェクトのミニチュア版と傍観していたプロジェクトのプロマネを引き受けることに。
今度は、最東端、北方領土の見える岬で近未来に思いを馳せる。

前回のような漠然とした不安はほとんどない。ああ、あのプロジェクトをやった経験の賜物なんだろう。

何のために、誰のために、プロジェクトをやるか、それがないのは前回と同じ。
前回は、自分のためだと途中で覚悟した。今度はどうだろう?
前回は優秀なメンバーが支えてくれた、今回は?

そう言えば、根室で泊まった旅館照月の女将さんが、おもろの女将さんとダブって見えた。
お客が大好きなことが伝わってくる、とってもいい人だった。
幸運の印か、デジャヴュか...

納沙布岬

根室半島周遊バスに乗って最東端に向かう。乗客は12〜3人。


途中、案内で最東端の小学校、最東端の中学校に最東端の郵便局が出て来て、笑う。
ちなみに最東端の郵便局は珸瑤瑁(こようまい)郵便局。(仮名漢字変換できないので、手書き入力した:-p)

与那国には、最西端の小学校に、最西端の中学校、最西端の商店とか、最西端の信号機とかあったな。
波照間には、最南端の自動販売機もあったもんな。

根室半島の太平洋側を走って納沙布岬に到着。
北方領土館や土産物屋、食べ物屋があって、最東端はちょっとした観光地。
そのせいで、果ての雰囲気が薄れて、拍子抜け。



与那国の方が、「端っこまで来たなぁ」って達成感が高いかな。
天気が悪くて少ししか見えなかったけど、「海の向こうに本当は日本なのに」と思うせいかも。

岬では、地元の人が昆布を干していた。

根室の町

旅行中、町中で見かけることはなかったが、ロシア人大勢やってくるらしい。
その人たちを迎えるために、交通標識は日本語/英語/ロシア語の三段表記。

その人たちには分からないようにという配慮からか、この看板は日本語表記のみ。
これこそロシア語で書かないと伝わらないのに:-p