軍艦岩は昔の遊歩道が立ち入り禁止になっているが、立ち入り禁止の看板の先で柵に隙間があって、入ってくださいと言わんばかりの状態...
進入禁止の遊歩道を進むと、テッポウユリの向こうに軍艦岩が見えて来る。
さらに進むと、サンニヌ台の崖下に軍艦岩。サンニヌ台の岩は方形、層状に割れ易い特性がある模様。この岩場が海底の海底遺跡に繋がっているということは、海底遺跡は自然の造形物である可能性が高いということかな。
この辺りの石は表面がツルツルで雨の日はすべり易そう。また、岩自体も脆そうなので、良い子は入らない方がよいと思われる。
2017/05/01
与那国めぐり / 六畳ビーチ、アヤミハビル館
ご飯の後は六畳ビーチで読書と洒落込むことに。お店でポテチとお茶を買い、おやつ持参でバイクを走らせる。昔は分かりにくかった六畳ビーチの入り口も今は整備されていて、迷うこともない。久しぶりに来た六畳ビーチは、断崖が思いの外高く、崖のくだり道が分からない。少しうろついて、人の道ができていることを発見。リュックを背負って崖を降りた。写真の土の部分はまだいいけれど、隆起サンゴ礁のトゲトゲの岩肌を下るところは結構きつい年齢になってきた。
半分降りたところで写真を1枚。浜まで降りると誰もいない、真っ白な砂浜が広がっていた。岩陰に入って、ポテチを食べながら読書すること1時間。途中、若者が2名やってきて、スノーケリングをしていた。
続いては、女将さんに「明日は休館日だから、今日行ってね。」と言われたアヤミハビル館。現地で「アヤミハビル」と呼ばれる世界最大級の蛾「ヨナグニサン」を始め、与那国島の生き物を展示している。
最初に与那国のこと、アヤミハビルのことを教えてくれるビデオを見せてもらって、展示物でお勉強。カップルで来ていた女の子から「すごいですよ、あそこに本物がいましたよ!」と教えてもらうが、何のことか分からない。職員の人が来て教えてくれたのが、この写真の「アヤミハビル」。カゴにも入っていないので標本だと思っていたけど、生きている成虫だとのこと。夜行性だから昼間はこの状態でも逃げないとのことで、夜になる前に羽をクリップで止めて飛べなくするらしい。結構残酷。標本のくすんだ色とは全然違う鮮やかな色に感心。
外に出るとヤギが。駐車場には「発車時には車下のヤギにご注意ください」との看板がある。
半分降りたところで写真を1枚。浜まで降りると誰もいない、真っ白な砂浜が広がっていた。岩陰に入って、ポテチを食べながら読書すること1時間。途中、若者が2名やってきて、スノーケリングをしていた。
続いては、女将さんに「明日は休館日だから、今日行ってね。」と言われたアヤミハビル館。現地で「アヤミハビル」と呼ばれる世界最大級の蛾「ヨナグニサン」を始め、与那国島の生き物を展示している。
最初に与那国のこと、アヤミハビルのことを教えてくれるビデオを見せてもらって、展示物でお勉強。カップルで来ていた女の子から「すごいですよ、あそこに本物がいましたよ!」と教えてもらうが、何のことか分からない。職員の人が来て教えてくれたのが、この写真の「アヤミハビル」。カゴにも入っていないので標本だと思っていたけど、生きている成虫だとのこと。夜行性だから昼間はこの状態でも逃げないとのことで、夜になる前に羽をクリップで止めて飛べなくするらしい。結構残酷。標本のくすんだ色とは全然違う鮮やかな色に感心。
アヤミハビルのマユで作った小銭入れ。女将さんから聞いた話では、空港で土産物として売っていたらしい。
外に出るとヤギが。駐車場には「発車時には車下のヤギにご注意ください」との看板がある。
お昼ご飯 / 橙Cafe+
お昼ご飯のため、立神岩から久部良漁港の海人食堂バイクを走らせたが、店の入り口には「本日定休日」の看板(涙)
祖納に帰ってお昼ご飯の店を探すことに。結局、おもろの近所の橙Cafe+に入る。
食べたのは、なんとかのキーマーカレー。ひと口食べた後で写真を撮ってないことに気付く。食べたところにスプーンを置いてごまかしたつもりになったが、余計にだらしない写真になった。
カレーは美味しかったけど味が濃くて、一日中キーマーカレーの香りが胃袋からただよって来た。
聞いた話では、店長は北海道の人らしい。他にも雑貨さくらの奥さんも北海道。北海道の人にとっての最西端には、特別な何かがあるのだろうか?
祖納に帰ってお昼ご飯の店を探すことに。結局、おもろの近所の橙Cafe+に入る。
食べたのは、なんとかのキーマーカレー。ひと口食べた後で写真を撮ってないことに気付く。食べたところにスプーンを置いてごまかしたつもりになったが、余計にだらしない写真になった。
カレーは美味しかったけど味が濃くて、一日中キーマーカレーの香りが胃袋からただよって来た。
聞いた話では、店長は北海道の人らしい。他にも雑貨さくらの奥さんも北海道。北海道の人にとっての最西端には、特別な何かがあるのだろうか?
与那国島めぐり / 西崎、南牧場、立神岩
続いては日本最西端の地、西崎。西の海をしばらく眺めるが、今日も台湾は見えず。
展望台の壁面に描かれているこんな台湾を見てみたい!
西崎から南牧場に入る。空と海と原っぱのコントラストが最高!
南牧場の真ん中辺りには、町を二分する大論争になった自衛隊の駐屯地がある。リゾートホテル風な外観だけど、門の中には迷彩色のお兄さんが立っている。
与那国島のシンボル立神岩。この周りの海の色も最高。
今回は観光客がとても少ない。例年ならそれぞれのスポットで2、3組の観光客に会うのが普通なのに、今年はひとりも会わないことが多い。5/1、2が平日だからなのか?
展望台の壁面に描かれているこんな台湾を見てみたい!
西崎から南牧場に入る。空と海と原っぱのコントラストが最高!
南牧場の真ん中辺りには、町を二分する大論争になった自衛隊の駐屯地がある。リゾートホテル風な外観だけど、門の中には迷彩色のお兄さんが立っている。
与那国島のシンボル立神岩。この周りの海の色も最高。
今回は観光客がとても少ない。例年ならそれぞれのスポットで2、3組の観光客に会うのが普通なのに、今年はひとりも会わないことが多い。5/1、2が平日だからなのか?
与那国島めぐり / 北牧場、ダンヌ浜
朝ごはんを食べたら、反時計回りの与那国島めぐりに出発。
まずは、馬鼻崎にある北牧場へ。朝の東崎もそうだったが、今年は何故か馬も牛も少ない気がする。
朝一便の石垣便の時間に合わせて滑走路の西端で待機。が、風が逆向きのため西から東に飛ぶみたいで、滑走路をこちら側に走行して来て回転。飛行機の飛び上がるところを写真に撮ろうと思ったのに、残念。
与那国ホンダで借りたバイクは30kmしか走っていないバリバリの新車。与那国オリジナルのナンバープレートが可愛い。
続いてダンヌ浜に移動。いつ来ても誰もいない美しい浜。「世界一美しい」と言われる公衆トイレも改修されてきれいになっていた。旅行前には心配した天気は晴天!
まずは、馬鼻崎にある北牧場へ。朝の東崎もそうだったが、今年は何故か馬も牛も少ない気がする。
「渡難ブルー」の海の美しさに心が和む。
朝一便の石垣便の時間に合わせて滑走路の西端で待機。が、風が逆向きのため西から東に飛ぶみたいで、滑走路をこちら側に走行して来て回転。飛行機の飛び上がるところを写真に撮ろうと思ったのに、残念。
与那国ホンダで借りたバイクは30kmしか走っていないバリバリの新車。与那国オリジナルのナンバープレートが可愛い。
続いてダンヌ浜に移動。いつ来ても誰もいない美しい浜。「世界一美しい」と言われる公衆トイレも改修されてきれいになっていた。旅行前には心配した天気は晴天!
日本で最後の朝日
朝の5時半に各部屋で目覚ましが鳴っている。ああ、みんな朝日を見に行くんだ。めいめいに支度をして東崎に出発。現地でおもろの客が再集合するころには、東の空が明るくなり始めていた。
駐車場から東崎の先っぽの灯台を目指して歩く。草原は馬と牛のウンチの地雷だらけ。避けては歩いたが、ビーサンの足には多少の被害もあったと思う(が、考えないことに)。
6時12分、太陽が水平線から顔を出した。
ここまで太陽が登るのに15分 と少し。きれいな夕日はなかなか見られないけど、朝日はいつもきれいに見える不思議な島。振り返ると、朝日を浴びるサンニヌ台。なんか幸せな気持ち。
おもろに帰っておいしい朝食。真ん中の豆腐はジーマーミー豆腐。
駐車場から東崎の先っぽの灯台を目指して歩く。草原は馬と牛のウンチの地雷だらけ。避けては歩いたが、ビーサンの足には多少の被害もあったと思う(が、考えないことに)。
6時12分、太陽が水平線から顔を出した。
ここまで太陽が登るのに15分 と少し。きれいな夕日はなかなか見られないけど、朝日はいつもきれいに見える不思議な島。振り返ると、朝日を浴びるサンニヌ台。なんか幸せな気持ち。
おもろに帰っておいしい朝食。真ん中の豆腐はジーマーミー豆腐。
2017/04/30
日本で最後の夕日
おもろに着くと夕食の真っ最中。みんなと一緒にご飯を食べるとすぐ、夕日を見るために西崎に出発。
Tシャツ一枚でバイクを走らせるとちょっと寒い。与那国で寒いと感じるのは初めての体験。なんとか夕日の時間に久部良漁港に到着。防波堤越しに西崎に沈む夕日が見えた。
西崎まで行くと10名弱の人が夕日を見にきている。
「きれいな夕日にならないね。昨日はもっときれいだったのに」とか言いながら、だんだんと人が帰って行く。
しばらく待ったが、夕日は雲の中に隠れて、恒例のイマイチな終わり方。でも、夕日に照らされた上空はとてもきれいだった。
おもろに戻ると何人かが食堂でゆんたく中。女将さんに「夕日きれいだった?」と聞かれて、「全然ダメ」と言いたいところを「まあまあ、いやそれなりにきれいだった」と答えて、空の写真を見せる。女将さんからは「ほんときれい、この写真応募したらいいよ。コーラルウェイとかに」とお世辞をいただく。
この後、与那国の朝日はとてもきれいという話しになって、なんとなく、明日の朝は朝日を見に行くことに決まった。
Tシャツ一枚でバイクを走らせるとちょっと寒い。与那国で寒いと感じるのは初めての体験。なんとか夕日の時間に久部良漁港に到着。防波堤越しに西崎に沈む夕日が見えた。
ナーマ浜から見た西崎に沈む夕日
西崎まで行くと10名弱の人が夕日を見にきている。
「きれいな夕日にならないね。昨日はもっときれいだったのに」とか言いながら、だんだんと人が帰って行く。
しばらく待ったが、夕日は雲の中に隠れて、恒例のイマイチな終わり方。でも、夕日に照らされた上空はとてもきれいだった。
おもろに戻ると何人かが食堂でゆんたく中。女将さんに「夕日きれいだった?」と聞かれて、「全然ダメ」と言いたいところを「まあまあ、いやそれなりにきれいだった」と答えて、空の写真を見せる。女将さんからは「ほんときれい、この写真応募したらいいよ。コーラルウェイとかに」とお世辞をいただく。
この後、与那国の朝日はとてもきれいという話しになって、なんとなく、明日の朝は朝日を見に行くことに決まった。
ISG〜OGN / RAC745
広島から沖縄を経由して石垣まで1,345マイル。この後、石垣から与那国はわずか80マイル。最後の80マイルを飛ぶRAC745を待つ。
RAC745は予定通り、17:35に石垣空港を出発。
飛行機は石垣島の南部を回り込み、黒島、西表島の上空を通って与那国に向かう。天気が良くて、八重山の島々が綺麗に見えた。
離陸後20分と少しで左の窓から与那国島の東崎が見えてきた。どなん(渡難)ブルーの海に囲まれた美しい島。
飛行機は高度を下げて島の北側海上を進む。断崖の下に見える砂浜は六畳ビーチ、鉄塔の立つ山は宇良部岳。故郷のように懐かしい。
祖納の街並みと手前は浦野墓地
ナンタ浜とティンダハナタ
18時過ぎに与那国空港に到着。心配した天気は最高。
後で聞いた話によると、この日のお昼には台湾が少し見えたらしい。
空港には与那国ホンダのお迎え。おじさんに「今年も来たね」と言われる。これまでの「前も来たよね?」という疑問形から肯定形に進化(笑)
与那国ホンダに着いたら、すぐ隣の民宿おもろに荷物を入れてバイクを借りる。今日は夕日を見に行かなければ。
RAC745は予定通り、17:35に石垣空港を出発。
飛行機は石垣島の南部を回り込み、黒島、西表島の上空を通って与那国に向かう。天気が良くて、八重山の島々が綺麗に見えた。
離陸後20分と少しで左の窓から与那国島の東崎が見えてきた。どなん(渡難)ブルーの海に囲まれた美しい島。
18時過ぎに与那国空港に到着。心配した天気は最高。
後で聞いた話によると、この日のお昼には台湾が少し見えたらしい。
空港には与那国ホンダのお迎え。おじさんに「今年も来たね」と言われる。これまでの「前も来たよね?」という疑問形から肯定形に進化(笑)
与那国ホンダに着いたら、すぐ隣の民宿おもろに荷物を入れてバイクを借りる。今日は夕日を見に行かなければ。
HIJ〜OKA〜ISG / ANA1861, ANA1775
GW恒例となりつつある与那国、石垣旅行。広島駅のリムジンバス乗り場に予定より1便早く到着すると、乗客はわずか5、6人。「やっぱりビジネス客がいないと少ないなぁ。」と思っていたら、出発間際にハングルの団体がやって来て、バスの中はハングルでいっぱいになった。
バスが走り出すとすぐに、バスの中を吹き抜ける風が。「えっ?」と思って横を見るとコリアの二人連れがバスの窓を開けている。リムジンバスの窓を開ける人を初めて見た。「えっ?」って顔で二度見したら閉めてくれたけど、このあたりが国民性の違いか。
広島空港のANAラウンジはガラガラ。こちらもビジネス客向けということ。この後、ANA1861に乗って那覇に出発。
那覇空港に到着後、ANAラウンジに向かうが、相変わらず激混み。こちらはビジネス客が家族同伴で人数2倍ということか。人の多さにビール1杯だけ飲んで退散。石垣行のANA1775は10分遅れで出発することに。
搭乗後、うとうとして目を開けると宮古島上空。平久保崎が見えるとすぐに新石垣空港に到着。
石垣空港は快晴。天気は下り坂と聞いているが、与那国はどうだろう?
2016/05/27
President Obama's Speech in Hiroshima / オバマ大統領広島演説
The following is a transcript of President Obama’s speech in Hiroshima, Japan, as recorded by The New York Times. (日本語訳は朝日新聞による)
Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
71年前、明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、世界が変わってしまいました。閃光(せんこう)と炎の壁が都市を破壊し、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことを示したのです。
Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in a not-so-distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans, a dozen Americans held prisoner.
なぜ私たちはここ、広島を訪れるのか。私たちはそう遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力に思いをはせるために訪れるのです。10万人を超す日本人の男女そして子どもたち、何千人もの朝鮮人、十数人の米国人捕虜を含む死者を悼むために訪れるのです。
Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.
彼らの魂が私たちに語りかけます。私たちに内省し、私たちが何者なのか、これからどのような存在になりえるのかをよく考えるように求めているのです。
It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors having learned to make blades from flint and spears from wood used these tools not just for hunting but against their own kind. On every continent, the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen. Peoples have been subjugated and liberated. And at each juncture, innocents have suffered, a countless toll, their names forgotten by time.
広島を際立たせるのは戦争の事実ではありません。暴力を伴う紛争は太古の昔からあったことが古代の遺物からわかります。火打ち石から刃を作り、木からやりをつくることを学んだ私たちの祖先は、これらの道具を狩猟だけでなく、人間に対しても使ったのです。食糧不足、富への渇望、国家主義的な熱烈な思いや宗教的熱情に突き動かされ、世界のどの大陸でも文明の歴史は戦争にあふれています。いくつもの帝国の興亡があり、人々は服従を強いられたり、解放されたりしました。それぞれの時期に罪なき人たちが犠牲になり、その名は時がたつにつれて忘れられていきました。
The world war that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth. And yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.
広島と長崎で残酷な終結を迎えることになった世界大戦は、最も豊かで、最も力の強い国々の間で戦われました。それらの国の文明は世界に偉大な都市や素晴らしい芸術をもたらしました。思想家たちは正義や調和、真実に関する考えを生み出してきました。しかし戦争は、最も単純な部族間の紛争の原因となった、支配や征服をしたいという本能と同じ本能から生まれてきたのです。新たな能力によってその古いパターンが増幅され、ついには新たな制約がなくなってしまったのです。
In the span of a few years, some 60 million people would die. Men, women, children, no different than us. Shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death. There are many sites around the world that chronicle this war, memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity.
数年の間で6千万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子ども、私たちと何ら変わりのない人たちが、撃たれ、殴られ、行進させられ、爆撃され、投獄され、飢えやガス室で死んだのです。この戦争を記録する場所が世界に数多くあります。勇気や英雄主義の物語を語る記念碑、筆舌に尽くしがたい悪行を思い起こさせる墓地や無人の収容所です。
Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity’s core contradiction. How the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our toolmaking, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will — those very things also give us the capacity for unmatched destruction.
しかし、この空に立ち上ったキノコ雲のイメージのなかで最も、私たちは人間性の中にある根本的な矛盾を突きつけられます。私たちを人類たらしめているもの、私たちの考えや想像力、言語、道具をつくる能力、自然を自らと区別して自らの意思のために変化させる能力といったものこそが、とてつもない破壊能力を私たち自身にもたらすのです。
How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily we learn to justify violence in the name of some higher cause.
Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness, and yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith as a license to kill.
物質的な進歩または社会的革新によって、私たちは何度この真実が見えなくなるのでしょうか。どれだけたやすく、私たちは何かより高い大義の名の下に暴力を正当化してきたでしょうか。あらゆる偉大な宗教が愛、平和、公正への道を約束しています。しかし、いかなる宗教も信仰が殺戮(さつりく)の許可証だと主張する信者から免れていません。
Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats. But those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different.
国家は人々を犠牲と協力で結びつける物語を伝え、顕著な業績を可能にしながら台頭します。しかし、それらの同じ物語は、幾度となく異なる人々を抑圧し、その人間性を奪うために使われてきました。
Science allows us to communicate across the seas and fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos, but those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.
The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.
科学によって、私たちは海を越えて通信を行い、雲の上を飛び、病を治し、宇宙を理解することができるようになりました。しかし、これらの同じ発見は、これまで以上に効率的な殺戮の道具に転用することができるのです。現代の戦争は私たちにこの真実を教えてくれます。広島がこの真実を教えてくれます。科学技術の進歩は、人間社会に同等の進歩が伴わなければ、人類を破滅させる可能性があります。原子の分裂を可能にした科学の革命には、道徳上の革命も求められます。
That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see. We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war and the wars that came before and the wars that would follow.
だからこそ、私たちはこの場所を訪れるのです。私たちはここに、この街の中心に立ち、原子爆弾が投下された瞬間を想像しようと努めます。目にしたものに混乱した子どもたちの恐怖を感じようとします。私たちは、声なき叫びに耳を傾けます。私たちは、あの恐ろしい戦争で、それ以前に起きた戦争で、それ以後に起きた戦争で殺されたすべての罪なき人々を思い起こします。
Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.
単なる言葉だけでは、こうした苦しみに声を与えることはできません。しかし私たちは、歴史を直視する責任を分かち合っています。そして、こうした苦しみの再発を防ぐためにどうやり方を変えるべきなのかを問わねばなりません。
Some day, the voices of the hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of Aug. 6, 1945, must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination. It allows us to change.
いつか、証言するヒバクシャ(被爆者)の声が聞けなくなる日がくるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を薄れさせてはなりません。その記憶は、私たちが自己満足と戦うことを可能にします。それは私たちの道徳的な想像力を刺激し、変化を可能にします。
And since that fateful day, we have made choices that give us hope. The United States and Japan have forged not only an alliance but a friendship that has won far more for our people than we could ever claim through war. The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed people and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that work to avoid war and aspire to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.
あの運命の日以来、私たちは希望をもたらす選択をしてきました。米国と日本は同盟だけでなく、私たちの市民に戦争を通じて得られるよりも、はるかに多くのものをもたらす友情を築きました。
欧州諸国は、戦場を通商と民主主義の絆に置き換える連合を築きました。抑圧された人々と国々は解放を勝ち取りました。国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を制限し、縮小し、最終的には廃絶するために機能する組織と条約をつくりました。
欧州諸国は、戦場を通商と民主主義の絆に置き換える連合を築きました。抑圧された人々と国々は解放を勝ち取りました。国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を制限し、縮小し、最終的には廃絶するために機能する組織と条約をつくりました。
Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations and the alliances that we form must possess the means to defend ourselves. But among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them.
それでもなお、世界で目の当たりにする国家間のあらゆる攻撃的行動、あらゆるテロ、腐敗、残虐性、抑圧は、私たちの仕事に終わりがないことを物語っています。
私たちは、人間の悪をなす能力をなくすことはできないかもしれません。だからこそ、国家や私たちが作り上げた同盟は、自衛の手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません。
私たちは、人間の悪をなす能力をなくすことはできないかもしれません。だからこそ、国家や私たちが作り上げた同盟は、自衛の手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません。
We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe. We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles. We can stop the spread to new nations and secure deadly materials from fanatics.
私の生きている間に、この目標は実現できないかもしれません。しかし、たゆまぬ努力によって、悲劇が起きる可能性は減らすことができます。私たちは核の根絶につながる道筋を示すことができます。私たちは、ほかの国への核拡散を止め、狂信者たちから死をもたらす(核)物質を遠ざけることができます。
And yet that is not enough. For we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale. We must change our mind-set about war itself. To prevent conflict through diplomacy and strive to end conflicts after they’ve begun. To see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition. To define our nations not by our capacity to destroy but by what we build. And perhaps, above all, we must reimagine our connection to one another as members of one human race.
しかし、それでもまだ十分ではありません。なぜなら、粗製のライフルや樽(たる)爆弾でさえ、どれだけ恐ろしい規模の暴力を起こせるのか、私たちは世界で目の当たりにしているからです。私たちは戦争そのものへの考え方を変えなければいけません。それによって、外交を通じて紛争を防ぎ、すでに始まった紛争を終わらせる努力をしなければなりません。相互依存の高まりが、暴力的な競争の原因になるのではなく、平和的な協力を生むものだと考えるのです。そして、私たちの国家を、破壊能力によってではなく、何を築き上げるかで定義づけるのです。そして、おそらく何にもまして、私たちは一つの人類の仲間として、互いの関係をつくり直さなければいけません。
For this, too, is what makes our species unique. We’re not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.
なぜなら、そのことも人類を比類なき種にしているものだからです。私たちは遺伝情報によって、過去の間違いを繰り返す運命を定められているわけではありません。私たちは学び、選ぶことができます。人類が共通の存在であることを描き、戦争をより遠いものにし、残虐な行為は受け入れられがたいような、異なる物語を私たちは子どもたちに伝えることができます。
We see these stories in the hibakusha. The woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized that what she really hated was war itself. The man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.
私たちはこうした物語を、ヒバクシャの中にみることができます。原爆を投下した爆撃機のパイロットを許した女性がいます。なぜなら、彼女は本当に憎いのは戦争そのものだと分かっていたからです。ここで殺された米国人たちの家族を捜し出した男性がいました。なぜなら、彼は彼らの喪失は自分たちの喪失と等しいと信じていたからです。
My own nation’s story began with simple words: All men are created equal and endowed by our creator with certain unalienable rights including life, liberty and the pursuit of happiness. Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans. The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family — that is the story that we all must tell.
私の国の物語はシンプルな言葉から始まりました。「すべての人は等しくつくられ、生命、自由、幸福追求を含む、奪われることのない権利を創造者から授けられた」。そうした理想を実現するのは、たとえ私たちの国内であっても、国民同士であっても、決して簡単なことではありませんでした。しかし、その物語へ忠実であり続けることは、努力に値することです。大陸を越え、海を越えて追い求められるべき理想なのです。すべての人の減らすことのできない価値。すべての命は尊いという主張。私たちはたった一つの人類の一員なのだという根本的で欠かせない考え。これらが、私たち全員が伝えていかなければならない物語なのです。
That is why we come to Hiroshima. So that we might think of people we love. The first smile from our children in the morning. The gentle touch from a spouse over the kitchen table. The comforting embrace of a parent. We can think of those things and know that those same precious moments took place here, 71 years ago.
それが、私たちが広島を訪れる理由です。私たちが愛する人のことを考えるためです。朝起きて最初に見る私たちの子どもたちの笑顔や、食卓越しの伴侶からの優しい触れあい、親からの心安らぐ抱擁のことを考えるためです。私たちはそうしたことを思い浮かべ、71年前、同じ大切な時間がここにあったということを知ることができるのです。
Those who died, they are like us. Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it. When the choices made by nations, when the choices made by leaders, reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.
亡くなった人たちは、私たちと変わらないのです。普通の人たちは、こことを分かっていると私は思います。普通の人はもう戦争を望んでいません。科学の驚異は人の生活を奪うののでなく、向上させることを目的にしてもらいたいと思っています。国家や指導者が選択をするにあたり、このシンプルな良識を反映させる時、広島の教訓は生かされるのです。
The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting, and then extending to every child. That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare but as the start of our own moral awakening.
世界はここで、永遠に変わってしまいました。しかし今日、この街の子どもたちは平和に暮らしています。なんて尊いことでしょうか。それは守り、すべての子どもたちに与える価値のあるものです。それは私たちが選ぶことのできる未来です。広島と長崎が「核戦争の夜明け」ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのです
(May 27, 2016 @Hiroshima Peace Memorial Park)
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